Daytona2022
26/1116

巻頭特集 P.102005年、創業者の阿部からバトンを託され、鈴木紳一郎が2代目社長に就任する。44歳という若さでの抜擢だった。当時を振り返り鈴木は語る。「創業者と同じことをやっても駄目だし、大きく変えても駄目という難しい状況だった。これまでは阿部さんに引っ張ってきてもらったが、自らが引っ張るという立場になった。ただ強烈なリーダーシップを発揮するというより、デイトナの在り方や社会との関係性を重視して、みんなの意見に耳を傾けて良い意見をチョイスしていった」。そのベースになったのは「変わらないこと」。「デイトナは創業者の想いが込められた会社。うちには阿部さんの経営哲学をまとめた『社長趣意書』がある。そこに書かれている言葉は、総て腑に落ちることばかり。だからガラリと変えるという選択肢はなかった」。社内のスタッフには「最近どう?」と言って声をかけ、その人が何をやりたいのか聞き、良いアイデアだと思えば「それいいね。やってみれば」と焚きつけた。こうしてやる気のある社員にチャンスを与え、積極的な商品開発に繋げていった。2006年、「HenlyBegins」を立ち上げて、ライダー向けウェアのリリースを開始。2012年、イギリス生まれの電動アシスト自転車「A2B HYBRID24」を発売開始。「GIVI」「NOLAN」といったヨーロッパ一流ブランドの日本総代理店となり、多様化するライダーが求める商品を海外から導入。社員のやりたいという意見をすくい上げて戦略的な経営と結びつけ、カスタムパーツ開発から、今に続く総合バイクブランドへとデイトナを成長させていった。2008年に全世界を襲ったリーマンショック。デイトナも例外でなく、商品の売れ行きが伸びず、経営的に苦しい時代が数年続いた。この苦難の時代にもデイトナは挑戦の歩みを止めることはなかった。デイトナを特徴づける一つに「アメーバ型」の組織がある。生産工場を持たないファブレス企業だから、企画力やアイデアで何でも形にする。リーマンショックで大きく売り上げが落ち込んだ時、鈴木が取り組んだのはライダーに向けた新しい情報発信イベントと新規事業部の立ち上げ。「時代が求めるものは何か」と全員で考え、新規分野へと参入した。2009年11月、第1回「静岡・森町 茶ミーティング」を開催。本社がある静岡県森町への社会貢献とライダー同士が楽しく語り合う場の創出を目的に、本社施設を会場として一般ライダーに開放。業界他社に声掛けして多数のブース出展、テストコースでのメーカー合同新車試1961年生まれ、ヤマハ発動機子会社を経て、阿部商事(現・株式会社デイトナ)に入社。愛車はヤマハTX650、トライアンフDAYTONA、ボンネビルT100。レーシングスーツでサーキット走行することもあり、バイクで疾走する感覚を何よりも愛している。乗会、二輪専門誌の協力によるゲストトークショーなど多角的なイベントを開催。社員が自らプログラムを企画、会場整理・受付などの運営に携わり、来場したライダーをおもてなしする参加型イベントは、多くのライダーから支持を集め、年を追うごとに参加者が増える人気イベントとなっていった。これも「今の時代にライダーが求めていることは何か?」と時代のニーズに目を配り、社員全員と意識共有した結果として生まれた産物であった。 2012年に新規事業として太陽光発電事業を開始。これからの脱酸素社会に向けた課題解決にデイトナができることは何かとの考えから事業に着手。デイトナとグループ企業で使用する電力を100%再生可能エネルギーで賄うことを掲げ、SDGs(持続可能な開発目標)に向けた環境への取り組みを行う。バイク事業に留まらず、デイトナが企業として社会に役立つ存在=社会貢献であることを目指している。2014年、デイトナはモーターサイクルガレージの取り扱いを開始する。デイトナに入社する前はスノーモービルを製造する会社にいた鈴木は、夏に製品を作ると、冬は人材派遣としてヤマハのバイク工場に出向した。任されたのはやりたいと思うことを、社員自らが実現できる会社。リーマンショックでも、挑戦の歩みを止めなかった。前・代表取締役社長鈴木紳一郎(現・会長)バイクを愛するライダーのために、デイトナができること。2005(平成17年) 〜 2015(平成27年)時代が求めるニーズの中で「デイ  ShinichiroSuzuki

元のページ  ../index.html#26

このブックを見る