Daytona2022
25/1116

巻頭特集 P.09東京と大阪の真ん中に位置する静岡県森町のデイトナ本社。本社・物流倉庫・テストコースが一箇所に集積し、スピーディな商品開発とタイムリーな商品出荷を可能としている。に、ライダーがさまざまな用品に触れて買い物を楽しむ時代がくる」という先見の明で発案。他社に先駆けて今に続く大型用品店を開店させた。「デイトナ社員には、いろんなものを興味を持って『見る』意識を持って欲しい。見ていれば何かのときに、ヒントになることが必ずある。見なかったらおそらく何も生まれない」。1997年、デイトナがプロデュースして、英国BSAリーガル社が製造した「BSA SR」を世界限定200台で発売。外装を変えた3タイプが製造され、フェザーベッドフレームにSRの単気筒エンジンを積んだ姿は、まさに正統派カフェレーサーそのもの。熱狂的なエンスージアストから高い評価を得た。2001年、静岡県森町に物流拠点と本社機能を移転・集約した新社屋が完成。外周550mのロードコースと160mのダートコースを併せ持つ本格的なテストコースを備え、開発において自社内でスピーディーにテストできる環境を整備、他社を圧倒する多様なジャンルの商品展開が加速していった。「これからもデイトナはチャレンジ精神を忘れずに、良い会社に変えていって欲しいと思う。良い会社とは成長を続ける会社。成長を続けるにはバイクに限らず、お客様に喜んでもらえる分野にどんどん挑戦して欲しい」と阿部は語る。常に挑戦をしてきた阿部のビジネス哲学は、今もデイトナの社員一人ひとりに脈々と受け継がれている。1993年、ライコランド千葉店(現・柏店)がオープン。都市圏郊外に大型量販店を開設することで、多くのライダーがツーリングなどを兼ねて、多用途、多目的に集えるようになった。BSAが新車で乗れる。トラディショナルなバイクファンに好評を博した。テストコースには、当時大人気だったダートトラック競技用のコース「MORIMACHI-SLIDE PARK」も併設。バイクの社会的な認知をすすめるため、全国二輪用品連合会(JMCA)が発足し理事会社に就任。89年の改造部品問題(スピード違反幇助)を機に、改造に関する法律を徹底的に検証。これによりアフターパーツの合法・違法のモヤモヤが次第にハッキリとしてきた。よりスピーディーなデリバリーが可能なよう、浜松インターそばの佐川急便に委託して物流センターを設置。各メーカーがカスタムベースとなる車両を次々と発売。それらに対応すべく、チューンナップのテキストとして、車種別のチューンナップカタログを創刊。自分のバイク専用なので、どんなパーツをどう付ければ良いのか一目瞭然。ライダーの生の声に接するため、バイク用品の小売事業を目的とした「株式会社ライコ」を設立。二輪車用品店として国内最大規模(売場面積550坪)の1号店「ライコランド千葉店(現・柏店)」が営業開始。四輪車専用ブランド「DCUATRO(ディーキャトロ)」商標を使用開始し、四輪車用品市場に新規参入。物流センターを袋井市堀越に移転。物価の高い日本でも欧米に負けない価格と品質のパーツを提供するため「国際価格シリーズ」を続々発売。車検制度の見直しによりカスタムマシンが車検OKに。「ベーシックで質感のあるバイク」を求めて、BSA-SRをイギリスのBSAリーガル社と共同企画、生産。BSAが新車で乗れる。トラディショナルなバイクファンに好評を博した。インターネット上にDAYTONAホームページを開設。本社敷地内に地上3階地下1階の新棟を建設。検査測定設備の充実を目的としてエンジン動力計とシャーシダイナモを設置し、使用を開始した。全日本ロードレース選手権SUGO大会GP250クラスで、チームデイトナ宮崎敦選手のアプリリアRSV250Rがワークスマシンをおさえて初優勝。ライコランドの2号店として「ライコランド埼玉店」がオープン。1988 (昭和63年)1989 (平成元年)1990 (平成2年)1991 (平成3年)1992 (平成4年)1993 (平成5年)1994 (平成6年)1995 (平成7年)1996 (平成8年)1997 (平成9年)1998 (平成10年)Archives1972〜2022 けた激動の時代。

元のページ  ../index.html#25

このブックを見る